日本財団 図書館


 

「災害は人事と思っている人を襲ってくる」

 

井 上 和 彦
(尼崎市)

 

108-1.gif

 

昭和58年3月、尼崎市消防局は「防災カルテ」を発表した。そこには枚方地震(1596年9月5日M・7)を想定した被害想定区域が載せられている。しかし、このカルテが、今後の課題は、1市民防災力の強化、2都市消防力の強化、3都市防災基盤の形成と指摘したことを重視すべきであろう。
なぜなら、南北2か所の防災センターが建設され、救援物資・医薬品の備蓄は勿論、飲料水兼用耐震性 100トン貯水槽を設置している。いや、すでに耐震性 100トン防火水槽が公園などに15基設置され、県下唯一の防災公園が建設されていたからである。
地震直後、8件の火災が発生、 505件のガス漏れ通報があったが、センターの情報処理システムが機能して大事に至らなかった。死者27名、負傷者 6,941名、家屋の全壊 9,369世帯、半壊36,875世帯、山陽新幹線の桁落下3か所などなど被害は甚大であったが、テレビの取材偏重で注目されなかった。いや、婦人防火クラブ、消防団などの防災活動の成果も評価されてはいない。
「防災カルテ」作成にあたり指導頂いた室崎教授は、壊れなかったもの、顕れなかったものから教訓を引き出せと言われる。その通りだろう。災害に強い町づくりは災害に強い社会づくりから始めねばなるまい。

 

震災に遭って

 

宮 本 和 子
(尼崎市)

 

108-2.gif

 

その日、目が覚めた時、何が起こったのか分からなかった。恐ろしい怪物が大声を上げながら両手を広げ、目を見開き、口をあんぐりと開けてこれでもかこれでもかと家中を揺さぶり廻しているように思われた。私は「止めて!止めて!」と叫んでいたような気がする。すぐ地震だと気付いたものの、先ず火を消して逃げ道を確保して等々、知識としては知っているつもりなのに何一つとしてすることはできなかった。幸い火は使っていなかったからよかったものの、とても歩ける状態ではなかった。
地震が収まって先ず家族の無事を確かめねばと思った。常に枕元に置いてある懐中電灯はどこへ行ったのやら暗闇の中では探すこともできない。目が慣れて少し見えるようになった部屋の中には、何もかもひっくり返り足の踏み場もないのは勿論のこと、出入口に洋服ダンスが倒れて出られない。仕方なく普段は使っていない襖を開けてみると、襖の向こう側に置いてあった本棚が倒れていたためどうにか出ることができた。皆の無事を確かめ家中を見渡すとお風呂やトイレは壁が落ちタイルは剥がれ使用不可能、台所・居間も壁が

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION